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from.....☆♡△◎◉

2017年の春


最近雨ばっかり。季節の移りかわりを感じながら
重苦しい時間が続いている。

とても気持ちが落ち着かなくて、時間がすぎるのがあっという間で、
後になって今のことがあまり思い出せない、ということになってしまうのが嫌なので、
今のうちに記録しておく。

とりあえず、経緯を。

3年前の2014年の5月、
つわりと、上の子が次から次へと幼稚園でもらってくる風邪がうつっては重症化して寝込む私を心配してた母。
母は母で、その頃から足の付け根が痛い、坂道を歩くと息切れがすると言い始めた。
少し前にぎっくり腰をやったので、てっきりそのせいだと思って、整形外科に行ってもレントゲンで異常なし。
そのまま様子を見ながら、夏は琵琶湖や志賀高原に旅行した。
秋を過ぎた頃から、さらに調子が悪くなって、冬には少しでも冷えると腰が痛いと言ってストーブの前にうずくまって、
食欲がなくなって、食パンも半分しか口にできなくなっていた。
私の出産が近づいたけど、母は体調が悪いのであてにできず、産前産後のお世話は父に全部お願いした。

下の子が生まれて少し後、母は相変わらず体調が悪かったけど、私のために頑張ってしばらく瀬戸に滞在してくれていた。
母はうちでもほぼ動けず、寝てるか、座ってるかの状態。
「役立たずの婆さんでごめんね」というので「早く体調良くなって」と返した。
母はもともとあまり動かない人で、普段から食事は全て父が作っていたし、
その上原因不明の体調不良で洗い物すらしてくれない母に対して、私は少しイライラしていた。

その後も母はますます調子が悪いというので、父だけに瀬戸に来てもらっていた。
2015年2月のあたま、1週間の瀬戸滞在の後、父が自宅に帰ると家の中が真っ暗。
とうとうご飯が全然食べられなくなってしまっていて、大の病院嫌いの母が「病院にいきたい」と言いだしたので
その日のうちに近くの診療所に連れて行って血液検査をしてもらう。
次の日の朝、電話がかかってきて、「検査結果がすごく悪いから今すぐ大きな病院に行け」と。
詳しく検査したら、大腸ガンによる腸閉塞と肝臓転移でした。

母はすぐに大腸ガンの摘出手術を受けて、とりあえず大腸の方は落ち着いたけど
肝臓は腫瘍があちこちに転移してて手遅れで、外科手術で取り除けないので、抗がん剤治療を始めることに。
抗がん剤はよく効いて、副作用が落ち着いている時は本当に元気だった。
1種類目の抗がん剤を全て受け入れることができて、ガンも落ち着いてたし、
もしかしたら、このまま肝臓のガンも小さくなって手術で取り除けるのかも。元が丈夫な人だし、結構長生きできるのかも、と思っていた。

2種類目の抗がん剤が、だんだん効かなくなって、もう一度1種類目の抗がん剤に戻したけど、体の拒絶反応があって、断念。
気休めのような飲み薬の抗がん剤を飲み始めたけど(それまでは点滴の抗がん剤でした)、
副作用があるばかりで効き目がないので、中止。

抗がん剤を全てやめたのが去年の10月。
今年の1月の半ばに京都に行った時は比較的元気で、一緒にドライブに出かけたりしたけど、
定期的に行っていた検査結果はどんどん悪くなってきて、
2月には痛みが出て来てベッドからあまり出られないくらいになっていて、
3月の半ばに、いよいよ食事が取れなくなって、右足がむくんで来たので、入院。
肝臓ガンの終末期は体のむくみが出てくるということは知っていたので嫌な予感がする。

入院してすぐは栄養剤の点滴のおかげでみるみる元気になって、また退院できるのかなと思っていたけど、それは一瞬だけのことだった。
顔や腕はやせ細っていくのに、体はみるみるむくんでいきました。

入院してから、私は毎週京都に帰ってるけど
帰るたびに1週間前と全然違って、この土日は本当に衰弱していて、
今のうちにたくさん話しておかないと、と思っていたけど、もう、会話が成り立たなくなっていて、
ついに、覚悟をしないといけないと思いました。
もう、どんな奇跡も起こらないと。



そもそも、最初に倒れた時に父の帰宅がもう少し遅かったらその時点でアウトだったんだから
この2年間、たくさんの思い出ができただけでも、現在の医療に感謝しなくては。。

今はもう、少しでも穏やかに最期を迎えて欲しいと願うことしかできません。


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少しでも綺麗なものを見て欲しいと思って、河原町で買ったフラワーベースとお花。
窓辺に置くと、グラデーションがかったガラスの気泡が綺麗なんだけど、今はそんなものをみる元気もない。







by unpotetooo | 2017-04-17 16:53