from.....☆♡△◎◉

もうすぐ7月

母が亡くなって2ヶ月経ちました。
前回記事を投稿したその日の夜でした。
父から連絡あり、夜でしたが子供達を車に乗せて、
オットは東京から最終新幹線で京都に来てもらい、私は病院で最期の2時間を一緒に過ごすことができました。
数日前からほとんどうわ言しか話せなくなってたのに、亡くなる直前は意識がハッキリしていて、
何回も、ありがとうと、言おうとしてくれてるのが分かりました。
でも結局、病気が分かってから最期の最期まで、母が涙を見せることはなかった。

苦しそうで、早く楽になってほしいと思いながら
人が亡くなっていく様子を見ることほど、辛いことはないな。。。

真夜中に病院から近所の安置所へ。明け方に就寝。
母の亡骸に向かって、はるくんが「ばーーたーん」て声をかけてて、
その様子を動画に撮って母に見せたいと思った。。。けどそんなこと叶わず。
通夜も告別式も無しで、その翌日には火葬して、夕方には瀬戸に戻りました。

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母が大好きだった庭のドウダンツツジがちょうど花をつけていたので、
棺の中にたくさん飾って、一緒に天国へ。

瀬戸に戻ると普通の日常が再開。アオは習い事を始めて毎日の送り迎えが忙しくて、私はすぐに大学の仕事も始まって、悲しみに暮れてる暇もなく
何が起こったのやら実感がないまま時間が過ぎてしまって。
2年前からこの日が来るのを想像して覚悟してたのに、いざ、こうなってみても、全然実感が持てない
そして昔の写真を見ては、この頃に病院に行ってたら、この頃に検診に行ってたら、、なんて思ってしまって
ああ、そうだ、今更そんなこと考えても何にもならない、と無力感に苛まれる日々。もう本当に、無力感。空虚。
病気が分かってからずっと心配し続けて、重たかった空気が、一気に無くなった代わりに、ものすごい空虚。
思い出すと悲し過ぎて、起こったことが大き過ぎて受け止められないから、思い出さないようにしてるのか、、、
そんな感じでよく分からないまま、2ヶ月経って、少し実感が出て来たな、、というところにマオちゃんの訃報。

うちの母は何も弱音を吐かず逝ってしまったから(物は全部残して逝った→片付けが大変)、実際闘病中どんなことを心に思ってたのかもよく分からず、
なのでいろんな人の癌闘病ブログを読み漁ってたし、マオちゃんのブログもアメンバーになってまで読んでた。
乳がんと大腸癌ではまた治療の流れも全然違うんだけど
母のこと思い出すと、末期ガンでしんどい人がブログなんて書けるわけがないはずなんだけどな、というのは不思議だったけど
少し前にマオちゃんのむくんだ足の写真を見たときに、あ、これは、もう危ないのかもしれないと思いました。
もう、本当に気の毒でならない。小さい子供を残して病気になってしまってどんなに辛かったんだろう。
そして、残された家族の、身内を亡くしてすぐ、1日後、2日後、、、の思いというのも
海老が発信しまくってるので、スマホみれば目に入ってくるし、
それを読んでは自分の気持ちを掘り起こされて心がざわついて仕方がないここ数日です。

私の場合は母が亡くなったって、瀬戸に戻ってしまえばそれを実感する機会もあまりなく
普通に元気に明るく過ごして人とも接することができたけど、
エビゾーの場合は、妻が亡くなったことがニュースになっててテレビでもやってて
世の中みんな知ってて大騒ぎみたいになってて。それって想像を絶するなあ。
悲しみを噛み締めて、ひっそり静かに生きていく、ってことができないんだもんな。
全然違う世界だな。

人は亡くなっても、残った人の心の中で生き続けるんですね、と父が言っていた。
本当にそう思う。もう会えないし、声聞けないし、話せないけど、全然消えてない。
「存在」って、どういうことなんだろうと、人類が考え続けて来たのも、よく分かる。。

母に最期に、子供達に優しくするから安心して、と言ってしまったので、できる限りかんばります。
普段の私はマオちゃんより、完全にトヨタ議員に近いので。。













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# by unpotetooo | 2017-06-28 00:01

2017年4月18日

今日からやっと給食開始。だけど13:50にはお迎え。
学校に迎えに行った後、保育所に入所の手続きに行って、
家に帰ったら二人におやつを出して、仲良く遊んでると思ったらすぐに喧嘩をするので叱る。
夜ご飯の準備して、食べさせて、片付けて、3人でお風呂に入って、寝かしつけて。
明日も朝8時前に学校に送る。
ちなみに学区外通学なので、毎日車で小学校まで送り迎えしてます。

毎日やることがいっぱい。
来月の仕事の準備もしないといけないし。だけど、心ここに在らず。
何も考えなかったらいつもと同じ日常なんだけど、さっき父から母はもう会話はできなくなってるとの連絡あった。

母のことは昔から、ほんとに変な人だなと思っていた。
「欲」とか「見栄」とは無縁で、贅沢や美容や宝石なんかにも全く興味無し。
服は、安く買ったものとか、叔母からのもらい物や、私や姉が昔着てた服をいつも着ていた。
自分のやりたいこととかも特になくて、ただ、家にいて私たちを育てていた。
お裁縫は結構得意だったけど、家事全般苦手で、父が引退してからは父が料理得意なので一回も食事作ってないし、家の中はゴッチャゴチャ。
私は、いつも綺麗に片付いていて、夕食の時間が早い友達の家を羨ましいと思っていた。

なぜか私は子供の頃、父がいなくなったらどうしようと不安になったりしたけど、
母がいなくなるなんて想像したことなかった。「丈夫で健康」を絵に描いたような人だった。
インフルエンザにもならないし、ガンの家系でもないから、病院にも全く行かず。
病院嫌いで、10年前に、便潜血反応で要再検査になったのに、再検査をするのが嫌で行かなかったらしい。
翌年から健康診断さえ受けに行かなかったらしい。
だから、こんなことになったのは、自業自得だと、本人も言ってたけど。
10年前となると、このブログ始めた頃、、。大腸ガンは進行が遅いから、絶対に治せたのに。
過去に戻れたら、教えてあげたいけど、だいぶ遠い過去だな。。。
昔の写真を見てたら、「この頃にはもう、ガンになってたんだよな」と思ってしまう、
どうすることもできなかった。

私は3番目の子なので、ほったらかしにされてたと思っていたけど、
今思うと、週3のバレエと、スイミング、ピアノ、と習い事をたくさんしてたからいっつも自転車で送り迎えをしてくれてたのは本当大変だったろうな。
何をしても褒めてくれたし、怒られた記憶は少ししかない。
だから子供の時から私はだらしなくて、常識がなくて、とっても性格が悪くて
ものすごくひねくれてた。。もう少しちゃんと躾けて欲しかったと思う。
母とは仲が悪いわけではないけど、私は家では無口で、特に会話もしない関係だったし、
私が愛知に引っ越してからは、母は携帯電話も持ってないから、連絡は父としか取っていなかった。
それでも電話口ではいつも優しくて、電話を切るときに「彫刻刀で手切らないように気をつけてね」とか言ってくれた。
電話で聞く母のやさしい声がとても好きでした。

母は私のこと、わけのわからない娘だと思ってただろうけど、
子供ができてすごく喜んでくれて
ようやくこれから親孝行できると思っていた。
子供達のこと、本当にとっても大切に可愛がってくれてた。

家族とペット以外に大切なものなんてない人。
自分の病気がわかってから、たったの一度も、泣いたり、取り乱したり、嘆いたり、悲壮感を出したりしなかった。
東京オリンピックまでは無理かもしれない、悔しいなとは言ってたけど、ずっと、いつも通りだった。
本人がいつも通りでいてくれることって、周りにいる私たちにとってはどんなに救いになることか。
私もいつかそういう状況になったら、母を見習いたいと心から思ってます。
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この間病院で、ずっと夢うつつな様子だったのに
碧の顔を見たら、笑顔になった。
きっともう会話できるのが最後だから「私に言っておくことない?」と聞いたら
蚊の鳴くような声で
「あおちゃんとはるくん、自転車気をつけてね」
「二人の子育て頑張って。大変だけどね」
とだけ言ってくれた。
学校は私の車で送り迎えだから大丈夫、と言ったら、安心したようにうなづいていた。
小学生の列に車が突っ込むような事故を本当に心配してたからね。

私もうすぐ、お母さんがいなくなるんだな。
子供達は世界一やさしいおばあちゃんがいなくなるんだな。
私にはたくさんの母との思い出が残るけど、
こんなに愛されてたのに、子供達の記憶にはきっと残らないことが、本当に悲しい。







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# by unpotetooo | 2017-04-18 18:47

2017年の春


最近雨ばっかり。季節の移りかわりを感じながら
重苦しい時間が続いている。

とても気持ちが落ち着かなくて、時間がすぎるのがあっという間で、
後になって今のことがあまり思い出せない、ということになってしまうのが嫌なので、
今のうちに記録しておく。

とりあえず、経緯を。

3年前の2014年の5月、
つわりと、上の子が次から次へと幼稚園でもらってくる風邪がうつっては重症化して寝込む私を心配してた母。
母は母で、その頃から足の付け根が痛い、坂道を歩くと息切れがすると言い始めた。
少し前にぎっくり腰をやったので、てっきりそのせいだと思って、整形外科に行ってもレントゲンで異常なし。
そのまま様子を見ながら、夏は琵琶湖や志賀高原に旅行した。
秋を過ぎた頃から、さらに調子が悪くなって、冬には少しでも冷えると腰が痛いと言ってストーブの前にうずくまって、
食欲がなくなって、食パンも半分しか口にできなくなっていた。
私の出産が近づいたけど、母は体調が悪いのであてにできず、産前産後のお世話は父に全部お願いした。

下の子が生まれて少し後、母は相変わらず体調が悪かったけど、私のために頑張ってしばらく瀬戸に滞在してくれていた。
母はうちでもほぼ動けず、寝てるか、座ってるかの状態。
「役立たずの婆さんでごめんね」というので「早く体調良くなって」と返した。
母はもともとあまり動かない人で、普段から食事は全て父が作っていたし、
その上原因不明の体調不良で洗い物すらしてくれない母に対して、私は少しイライラしていた。

その後も母はますます調子が悪いというので、父だけに瀬戸に来てもらっていた。
2015年2月のあたま、1週間の瀬戸滞在の後、父が自宅に帰ると家の中が真っ暗。
とうとうご飯が全然食べられなくなってしまっていて、大の病院嫌いの母が「病院にいきたい」と言いだしたので
その日のうちに近くの診療所に連れて行って血液検査をしてもらう。
次の日の朝、電話がかかってきて、「検査結果がすごく悪いから今すぐ大きな病院に行け」と。
詳しく検査したら、大腸ガンによる腸閉塞と肝臓転移でした。

母はすぐに大腸ガンの摘出手術を受けて、とりあえず大腸の方は落ち着いたけど
肝臓は腫瘍があちこちに転移してて手遅れで、外科手術で取り除けないので、抗がん剤治療を始めることに。
抗がん剤はよく効いて、副作用が落ち着いている時は本当に元気だった。
1種類目の抗がん剤を全て受け入れることができて、ガンも落ち着いてたし、
もしかしたら、このまま肝臓のガンも小さくなって手術で取り除けるのかも。元が丈夫な人だし、結構長生きできるのかも、と思っていた。

2種類目の抗がん剤が、だんだん効かなくなって、もう一度1種類目の抗がん剤に戻したけど、体の拒絶反応があって、断念。
気休めのような飲み薬の抗がん剤を飲み始めたけど(それまでは点滴の抗がん剤でした)、
副作用があるばかりで効き目がないので、中止。

抗がん剤を全てやめたのが去年の10月。
今年の1月の半ばに京都に行った時は比較的元気で、一緒にドライブに出かけたりしたけど、
定期的に行っていた検査結果はどんどん悪くなってきて、
2月には痛みが出て来てベッドからあまり出られないくらいになっていて、
3月の半ばに、いよいよ食事が取れなくなって、右足がむくんで来たので、入院。
肝臓ガンの終末期は体のむくみが出てくるということは知っていたので嫌な予感がする。

入院してすぐは栄養剤の点滴のおかげでみるみる元気になって、また退院できるのかなと思っていたけど、それは一瞬だけのことだった。
顔や腕はやせ細っていくのに、体はみるみるむくんでいきました。

入院してから、私は毎週京都に帰ってるけど
帰るたびに1週間前と全然違って、この土日は本当に衰弱していて、
今のうちにたくさん話しておかないと、と思っていたけど、もう、会話が成り立たなくなっていて、
ついに、覚悟をしないといけないと思いました。
もう、どんな奇跡も起こらないと。



そもそも、最初に倒れた時に父の帰宅がもう少し遅かったらその時点でアウトだったんだから
この2年間、たくさんの思い出ができただけでも、現在の医療に感謝しなくては。。

今はもう、少しでも穏やかに最期を迎えて欲しいと願うことしかできません。


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少しでも綺麗なものを見て欲しいと思って、河原町で買ったフラワーベースとお花。
窓辺に置くと、グラデーションがかったガラスの気泡が綺麗なんだけど、今はそんなものをみる元気もない。







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# by unpotetooo | 2017-04-17 16:53

ご無沙汰

あけましておめでとうございます。
2017年もあっという間に10日経過。

去年の2月に、9年愛用してたMacBook(ほぼネットサーフィン専用)が突然ぶっ壊れてしまいまして。
それからというものこのブログからは遠ざかっていたのですが、
この度あたらしいMac book Proを手に入れた(私のちゃうけど)ので、
久々に近況を記録しておく。。(IDをど忘れして往生したけどなんとかログイン成功)

おかげさまで子供達はすくすく成長しています。
子供が一人だった時は全くわからなかったけど、
下の子というのは、上の子のマネをしたがるもんで、それがまあ、とにかく、たいへん。
特に、今春に小学生になるアオのために用意した勉強机の取り合いが毎日繰り広げられて
その度、上の子には我慢をさせている。弟が凶暴で、すぐに噛み付いたり、つねったり、、、ったく、誰に似たんだか。008.gif

最近のお楽しみは、上の子のピアノのおけいこ。お教室には通わずに私が教えてますが、みるみる上達している。
その昔、一人暮らしする時に贅沢にも親に電子ピアノを買ってもらったのですが
こうして子供の役に立っているので、買ってもらって良かったなあ、と。
そもそも3歳から22歳まで通い続けたピアノの月謝代が、
私が子供に教えることで、少しは、無駄でなかったと思える。。というただのケチです。
(にしても、私のピアノの先生がなぜあんなに怖かったのか、よく分かる。。。
 間違えられるととめちゃイライラしてしまうんだよな。。かなりスパルタです。反省)

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だいたい、夕飯が終わってからお風呂までの30分、一緒に練習してます。(弟が弾かせろと言って邪魔しにくる)
アオはピアノがとても楽しいみたいで、ご飯食べてる時にも
「4分休符と2分休符が続いてるところはなんで付点2分休符じゃダメなの?」とか聞いてきたり。。。私にもよくわからん。。。
学食で音科の子ナンパして、色々教えてもらおうかな、、と真剣に考えてます。
結構弾けるようになったら、ちゃんと教室に通わせた方がいいのだろうな。
発表会も体験させたいしな。

スイミングもとっても楽しそうに泳いでて見てるこっちが嬉しくなります。
自分はただいま色々と休業中ですので、悲しいかな、子供の成長で満たされてます。。。











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# by unpotetooo | 2017-01-11 20:25


旦那の展覧会は初日から4日間、公開制作してました。

3日目の晩に開催された作家二人のアーティストトークをどうしても聞きたかったので
両親に無理言って瀬戸にきてもらいお子たちを預けて、栄に出かけました。
二人がまじめにこれまでの作品制作について語るのは初めて聞いたけど、とても良かった。
お子たちのお風呂&寝かしつけがあるので私は終わってすぐに帰りましたが、
帰りの車の中では嬉しい気分でいっぱいだった。
よく考えたら、アートでこんな気分になったのは初めてです。

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この二人とは学生のときからもう13年の付き合いになる。
二人とも、私には理解できないくらい謙虚で、人に優しくて
(Aくんと一緒に働いてた時、私が「きー」ってなってるときに「まぁまぁ」とたしなめられたことが何度かある。。)

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そんな二人がタッグを組んで死にものぐるいで作り上げた物が、ああいう形になって、
(実際、大晦日の晩にボンド塗ってるのは地球上でアンタらだけやな〜アホやな〜と笑ってたんですが)
とても客観的にみれないってのもあるけど、本当に感動したというか、幸せな気分になったのです。
謙虚な二人でなければ実現しなかったプロジェクトだし、
時代に逆行してるような、手あかだらけで泥臭くて
迫力があるのに静かで、切り取ったら全部が絵画みたいで美しくて。
作品自体に魂が宿ってる感じがして、なおかつ作家の伝えたい事がちゃんと伝わってくるような。
ただ「凄いなあ。。」と思った。

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巷に氾濫してるアート作品にはやだなと思うことの方が多くて、
もはや色々あきらめて考えない様にしてるフシもありましたが、
ああ、私もこんな風に、純粋にアート(?と言っていいのかしら)に感動できるんだなと思えました。

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多くの人に伝わればいいのだけど。
あと二日で展覧会は終わりです。
大勢のお手伝いの人のおかげでなんとか成立した展示なので2週間で終わりとはもったいない。


身内の作品をほめすぎスミマセン
9月からずっと続いてた育児疲れの気苦労が報われたってのもあるのでね。
とはいっても、また年末年始のような事がありそうな場合は事前に実家に帰ります。











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# by unpotetooo | 2016-01-23 12:21